Just sitting - ロンドンで坐禅

ここ3年程ロンドンの曹洞宗の道場で週に3日坐禅しています。世界中から老若男女多国籍、様々な背景の人種が集まるロンドン坐禅会での出会いや自分の気づきなどを綴ります

筏の喩え・此岸と彼岸 

8Oct/Tue - Old Street 

この日は仕事が遅くなったので経行からの参加。

仕事でちょっとトラブルがあり胸の真ん中あたりに

ずっとモヤモヤとしたわだかまりがあって坐禅中も

そのモヤモヤを感じながら坐っていた。

 

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スタディグループで読んだテキスト

 

筏の喩え

Alagaddupama Sutta: The Water-Snake Simile

 

ここに、ひとりの人がいて、長い旅を続け、とあるところで

大きな河を見て、 こう思った。この河のこちらの岸は危いが、

向こう岸は安らかに見える。そこで筏を作り、その筏によって

向こうの岸に安らかに着くことができた。そこで「この筏は

わたしを安らかにこちらの岸へ渡してくれた。大変役に立った筏

である。だから、この筏を捨てることなく肩に担いで、行く先へ

持って行こう」と思ったのである。  

このとき、この人は筏に対して、しなければならないことをしたと

いわれるであろう か。そうではない。この比喩えは、

「正しいことさえ執着すべきではなく、捨て離れなければならな

い。まして、正しくないことは、なおさら捨てなければならない。 」

ということを示している。

仏教聖典 P57

このテキストにはみんなわかりやすいとの意見。

釈尊の教えはあくまでも実践的で役目が終わったら(役に立ったら)

それ自体に執着することはない、と。

これは他の宗教ではありえないだろう、という会話で色々盛り上がり

最後にニックが「でも彼岸も此岸もないだろう、結局は向こうもこっちも

一緒だから」と禅的なコメントで括りまとめてくれた。ははは。

 

 

本日のSitters: サード、ニック、マイケル(エセックスの)、ノエル、

ジョン(南ロンドンの)、初参加の男性(トルコ系の名前)+私とE