筏の喩え・此岸と彼岸
8Oct/Tue - Old Street
この日は仕事が遅くなったので経行からの参加。
仕事でちょっとトラブルがあり胸の真ん中あたりに
そのモヤモヤを感じながら坐っていた。
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スタディグループで読んだテキスト
筏の喩え
Alagaddupama Sutta: The Water-Snake Simile
ここに、ひとりの人がいて、長い旅を続け、とあるところで
大きな河を見て、 こう思った。この河のこちらの岸は危いが、
向こう岸は安らかに見える。そこで筏を作り、その筏によって
向こうの岸に安らかに着くことができた。そこで「この筏は
わたしを安らかにこちらの岸へ渡してくれた。大変役に立った筏
である。だから、この筏を捨てることなく肩に担いで、行く先へ
持って行こう」と思ったのである。
このとき、この人は筏に対して、しなければならないことをしたと
いわれるであろう か。そうではない。この比喩えは、
「正しいことさえ執着すべきではなく、捨て離れなければならな
い。まして、正しくないことは、なおさら捨てなければならない。 」
ということを示している。
仏教聖典 P57
このテキストにはみんなわかりやすいとの意見。
釈尊の教えはあくまでも実践的で役目が終わったら(役に立ったら)
それ自体に執着することはない、と。
これは他の宗教ではありえないだろう、という会話で色々盛り上がり
最後にニックが「でも彼岸も此岸もないだろう、結局は向こうもこっちも
一緒だから」と禅的なコメントで括りまとめてくれた。ははは。
本日のSitters: サード、ニック、マイケル(エセックスの)、ノエル、
ジョン(南ロンドンの)、初参加の男性(トルコ系の名前)+私とE