Just sitting - ロンドンで坐禅

ここ3年程ロンドンの曹洞宗の道場で週に3日坐禅しています。世界中から老若男女多国籍、様々な背景の人種が集まるロンドン坐禅会での出会いや自分の気づきなどを綴ります

動きたいのに動かない・衝動を見守る・自由意志?

19Oct/Saturday - North London 

 

「動きたいのに(敢えて)動かない」ということ。

 

今回初参加の人が何人かいて、恐らく座るのに慣れていないからか

とにかく坐禅中によく動く。脚を組み替えたり、崩してみたり、

鼻を掻いたり、髪の毛を触ったり。とにかくじっとしていない。

もちろん普段なら気にかかることでもないし、坐禅してない時は自分も

全然気にかけていないこと。

実際坐ってみて初めてわかる動かないことの難しさ!

 

坐禅をしていると自分の感情、思考、衝動、記憶、意欲・・・

その他諸々の現象が自分の意思に全く関係ないこともわかる。

何処からかいつの間にか勝手に現れて、消え、また現れるということの

繰り返し。

身体の衝動(反応)でわかりやすいのは痒み、くしゃみ、欠伸、眠気、

痛み、咳・・・。

例えば坐禅中に急に顔が痒くなったとする。普段なら迷いなく、自分でも気付く

前に自動的に掻いているはず。

だって痒いのに掻かない理由があるか!?もちろんない。

ただ坐禅中は違う。痒みが起る、それに気付く。ここだけでも普段とは違う。

でもそこからちょっとその痒さを泳がしてみる。

もちろん掻いてもいいけど少し見守ってみる。

これは我慢とは違う。自分の身体にCuriousになってみる感じ。

何だろう、この感じ。Observeする、傍観者になる。ただ観察する。

その感覚と一つになってみる。

 

そうすると普段と違うことが起る。感覚が無くなる、いや、無くなると

いうよりニュートラルになる。

いやそれも違うな、なかなか上手く言葉で表わせないけどかゆみに集中していた

神経が広がっていく感じ。それまで感じていた自分が無くなるというか。

 

何とも言葉にできない。

 

 

身体(心も含めて)の機能を坐禅中に見守ることで、またそれに簡単に応じない

ことで、ほんの細やかではあるけれでも自由意志もあると感じることが出来る

 

・・・こともある。

(ほんの束の間やけどね)

 

 

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土曜日は坐禅の後レギュラーメンバーでパブに行くのが恒例。

いつも思うけどこんなにランダムに面白い人達が集っているというのが奇跡的。

年齢も背景もばらばらで坐禅してること以外に何の共通点もない。

この日の会話:シリアルキラー(特に北ロンドンの)、早口言葉(英語、ドイツ語)、

クスリの話、スポーツ  etc 

このとりとめのなさ!この日も面白かった。

 

 

本日のSitters:ジョン、ビル、ニック、マーティン、オリバー、初参加3名

(ケン、マリア、あと一人女性、東欧系?)+私とEで10名