Just sitting - ロンドンで坐禅

ここ3年程ロンドンの曹洞宗の道場で週に3日坐禅しています。世界中から老若男女多国籍、様々な背景の人種が集まるロンドン坐禅会での出会いや自分の気づきなどを綴ります

17Sep/Tue - Old Street

どんどん秋っぽくなっている。

着いたらイントロをしてたので下でティムと雑談。

休暇でフランスに行っていたのでどうだったと聞く。

楽しかったようだけどパートナーが先にロンドンに戻る必要があって

一人で時間を持て余したのでストラスブールの禅寺、龍門寺で何日か過ごしたのこと。

www.meditation-zen.org

意外にもフランスには禅のお寺がたくさんある。

60年代に弟子丸泰仙老師が布教に着いたのがフランスだったから。

直接教えを受けた弟子達が禅を広めるためにフランス各地でお寺や禅道場を

設けている。龍門寺もその一つ。

住み込みでスタッフがいるかなり大規模な本格的なお寺みたい。

あとそこで会った人達の話(禅のサンガは色んなところで人が繋がっているので)。

そうこうしてるうちに木板が鳴ったので道場に。

 

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ちょうど季節の変わり目で日がどんどん短くなってる。

坐禅開始はまだ明るかった室内も陽が落ちて薄暗くなって

半眼の視界に入る物の輪郭がぼやけてくる。逢う魔が時。

去年の夏のGuyのお寺での接心を思い出した。Guyは元気かな・・・。

https://tenborin.org/

 

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 昨日のスタディグループはかなり沢山の人が残った。8人。

 

 

トピックは先週の続きの「無我」。テキストは先週と違うけどその関連。

知ってる人は知ってる有名なテキストのようでした(勿論私は知らなかった)

ja.wikipedia.org

 

存在を、または実体を細かく分割していってその分割した部分だけでもって

本体と同一と言えるか、言えないか。

例えば私の耳、口、(まあ、あと何でもいいけど 笑)は私の部分では

あるけれでもそれだけが私では無い。

一つ一つを否定していくと結局何も残らない。

じゃあその総合が私を成り立たせることになるのか。

 

本質とは何?

 

それをそれとたらしめるものの有無。みんなの議論が複雑になってきた。

感覚的にimpermanenceのことを言ってるんだろうなとは感じるが。

変化。常に変わっている、変わっていくもの・・・。

 

しかし昨日は凄いインテリ度!

PhDを持ってないのは私と「流離い」のニックぐらいじゃ無いかというぐらい。

 

なんかレクチャーをタダで聞いたようなもんだ。

ああ、もっと勉強したい!

 

 

本日のSitters:マーティン(スイス)、ニック、ティム、マイケル(エセックス)、

ノエル、サード、エマ(確か、そんな名前)、1ヶ月程前に

北ロンドン道場に来た、ペンシルバニア在住の大学教授(名前?)、

初参加のオリバー(マインドフルについての取材らしい)

+私とEで11人